歌詞解釈:回路-kairo- – [alone, but never alone #02] もう私の歌は聞こえない

回路-kairo- さんのアルバム「alone, but never alone」に収録されている曲 #02「もう私の歌は聞こえない」の投稿者による歌詞解釈です。

楽曲情報
  • タイトル : もう私の歌は聞こえない
  • 作曲 : ZUN
  • 編曲 : 毛
  • 作詞 : 毛
  • ボーカル : 556t
  • 原曲 : 夜雀の歌声 ~ Night Bird / もう歌しか聞こえない
  • 収録作品 : alone, but never alone
  • 発表 : コミックマーケット81 二日目(2011年12月30日)

1. 解釈概要

死後に魂だけとなったミスティア・ローレライは、人を狂わせる自分の歌を疎ましく思いつつも孤独に耐えられずに、自分に気付いて欲しいとの願いを込めて夜に歌う。

2. 議論になりそうな箇所

2-1. 誰の曲か

ミスティア・ローレライとした。ミスティアとした理由は、原曲や、収録アルバムのジャケットにミスティアが描かれていることである。ただし、歌詞の「身体も無い」や歌詞の暗い内容は原作のミスティアとは異なるため、二次創作の要素が強い。二次創作の範囲を逸脱していると考えるならば、ミスティア・ローレライ本人ではなく、ミスティア・ローレライをモチーフとした者の曲としてもよいだろう。

投稿者は、原作のミスティア・ローレライが夜雀としての性質とローレライの魔女の性質の両方を持つと考えるが、この曲は特に後者の性質に着目したものであると考えた。「妖怪事典」(村上健司 著)の「ヨスズメ」の項には人を狂わせるような性質の記載は無い。日本語版 Wikipedia の「ローレライ」の項にはドイツの伝承として、ローレライが声で漁師を誘惑して破滅へ導く旨が書かれている。

どのタイミングのミスティアなのかということについては、原作との矛盾を回避しようとする方向では妖怪として死んだ後ということになるだろう。一方で、ローレライの魔女から考えて人間として死んだ後と解釈しても投稿者としては二次創作の範囲内と考えた。

2-2. EP 「World pulse」の曲「pulse」との関係

直接的には無いものと考え、今回「もう私の歌は聞こえない」を解釈する上で「pulse」は意識しなかった。”死後に身体が失われても歌っている” ということ以外には特に共通点は見受けられなかった。また、EP 「World pulse」の発表が 2013年08月12日、アルバム「alone, but never alone」の発表が 2011年12月30日 であるため、影響があるとすれば「もう私の歌は聞こえない」から「pulse」へと思われる。一方、両曲とも作詞は毛さんであるため、毛さんの歌詞全体を考察する際には両曲をセットで見るべきかもしれない。

2-3. 「もう気付いて欲しい」は誰に何に気付いて欲しいのか

“不特定の誰かに、ミスティアの存在に気付いて欲しい” と考えた。他の候補として、「気付けない」と関連付けて解釈する方針や、”自分に死んだことに気付いて欲しい” という解釈も考えたが、一番しっくり来たものとして先のものを選んだ。

2-4. 「この声の先には誰もいないんだ」の意味

“誰もミスティアの歌を聞こうとする者がいない” の意味で解釈した。この箇所だけ見ると “誰もミスティアの歌が聞こえる場所にいない” との解釈のほうが自然に感じたが、この解釈は他の箇所(「耳を塞いで聞こえぬように 誰にも届きませんように」等)と矛盾するように思えたため、採用しなかった。

2-5. 「気付けない」の対象は何か

続く行に相当する “自分が歌い始めること” と解釈した。他の候補として前 2 行に相当する “喉が枯れて歌を止めるので良かったこと” も考えたが、これは「狂わなくて済むと そっと息を吐く」と矛盾するように思えたため、採用しなかった。

2-6. タイトル「もう私の歌は聞こえない」の意味

“ミスティアの歌を聞いたら狂ってしまうから、まともに聞ける者がいない” と解釈した。聞こえてしまうことを怖れつつも聞いて欲しいという歌詞内容と考えており、その考えが正しい前提ではタイトルの意味が “全く誰にも聞こえない” となるのは不自然であるため、先の解釈となった。他には物理的な歌と精神的な歌を分けて “物理的な歌は聞こえない” と解釈する方針も考えたが、物理と精神を分けることの妥当性が不明である上に物理が聞こえないことに着目してタイトルを付ける理由を思いつかなかったため、採用しなかった。

3. 雑感

以前の「岸辺の赤」の歌詞解釈記事でも触れましたが、アルバム「alone, but never alone」の制作に関する話として、「同人音楽.book -2011 Autumn-」に掲載されているインタビュー記事に以下の記載があります:

メ「実は『3/4~three times of the east~』の再販を希望してくれる声をたくさん頂いているんですが…。」
毛「手元にないんですよ。」
(投稿者略)
メ「それで今、録り直して、それと今まで作った楽曲の中から、何曲かを収録したのを作ってます。」
毛「今まで(東方アレンジ作品を)4枚出しているんですが、曲を作ったは良いものの、それぞれのコンセプトに沿わず、アルバム収録を見送った楽曲というのがあって。」

同人音楽.book -2011 Autumn- p.74

上記より、本アルバムでの楽曲同士の関連は無いか弱いものと考えています。今回の歌詞解釈記事も他の曲は一切意識せずに書きました。全部眺めてみたら “but never alone” 的な何かが見えてくるのかもしれませんが。

また、本曲「もう私の歌は聞こえない」は「曲を作ったは良いものの、それぞれのコンセプトに沿わず、アルバム収録を見送った楽曲」の 1 つと思います。原曲から素直に考えればアルバム「Will the living corpse have dream of tomorrow?」への収録が見送られたのでしょう。「Will the living corpse have dream of tomorrow?」のコンセプトには定命の非蓬莱人と永遠を生きる蓬莱人(と輝夜)の対比が関わる(と投稿者は考えている)ため、本曲の死後も歌い続ける描写は非蓬莱人の振る舞いとして沿わないでしょう。

勿論この曲は好きなんですが、自分の中で影が薄かったんですよね。1 カ月ちょい前に以下のような投稿をしていました。

アルバム内での文脈が難しいのもあってか忘れがちだけど、かなりエモい

11:59 PM・Sep 10, 2023 https://twitter.com/rinki_s/status/1700886750510637281

アルバム「alone, but never alone」を代表する曲としてはジャケットが小町であることから #08「岸辺の赤」のような気がしますし、デビュー曲的な立ち位置(と勝手に投稿者が思っている)「天地爛漫」の 2nd バージョンが #07 にあり、ベストアルバム「The world is too small(wide) we are to live comfortably.」で特別な意味を持って襲い掛かってくる(と勝手に投稿者が思っている)「君と私と穏やかな旅」のこちらも 2nd バージョンが #04 に来ています。という訳で(投稿者の中では)同アルバムの他の曲は影が薄くなりがちです。

みすちー自身以外の全員を狂わせて殺してなお歌い続けるみすちーとか見てみたいですね。しかしこれはもうみすちーも狂ってることになるでしょう。ヤンデルは好物です。

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