歌詞解釈:回路-kairo- – [World pulse – EP #05] pulse

回路-kairo- さんの EP 「World pulse」に収録されている曲「pulse」の投稿者による歌詞解釈です。

楽曲情報
  • タイトル : pulse
  • 作曲 : ke
  • 作詞 : ke
  • 収録作品 : World pulse
  • 発表 : ダウンロード販売 2013年08月12日 開始

1. 解釈概要

自殺した “僕” は、媒体となる身体を失った後もその魂は歌い続ける。

2. 議論になりそうな箇所

2-1. #01「Way of wonderful suicide」との関係

#01「Way of wonderful suicide」が #05「pulse」のモチーフとなってはいるが、歌詞で描かれている物語は別であると考えた。詳細を以下に記載する。

最初に、両曲の歌詞上の共通点ないし類似点を挙げておく。これらに加えて同じ旋律が使われていることから、#05「pulse」と #01「Way of wonderful suicide」は強い関連性が有ると言えるだろう。

  • #01 のタイトルの suicide
    #05 の “僕が死んだ日は”
  • #01 の “日記のページも今日で最後です(略)思い出にも火を灯した”
    #05 の “後悔と共に日記は(改行)燃やしてしまったよ”
  • #01 の “平気だ(改行)まだいけるよ”
    #05 の “「平気さ、まだ行けるよ」”
  • #01 の “心は鳴り続ける”
    #05 の “魂は今(改行)この場所(改行)まだ歌っている(改行)ずっと ずっと(改行)叫んでいる”

なお引用する歌詞の表記はメロンブックスの DL 販売に付属のものである。公式の特設サイト(のアーカイブ)にも歌詞情報が有り、そちらの #05 の歌詞は文字でハートを象っているので改行の入れ方が大きく異なる。

歌詞で描かれている物語が #01 と #05 とで別であると考えた理由は、#05 の歌詞の “全て残して行く勝手も” が、#01 の歌詞を後追い自殺とする解釈と合わないためである。後追い自殺であれば、残すものがあったとしても「全て」ではなく一部であるか、むしろ “僕” にとっての「全て」が死の先にあることになるだろう。#05 の歌詞に “君” の要素と明確に読み取れるものが無い点も、物語を別とすることを支持すると考えた。

#01 の歌詞解釈については、アルバム「Way of wonderful suicide」の #09 準拠で書いた解釈概要を次に引用する。なお引用における「私」は、曲「Way of wonderful suicide」における “君” である。

「僕」と「私」は恋仲であったが会えなくなり「僕」は「私」を探し求めていたが、もう生きて「私」に会えないことを知り、死後に心でつながる可能性に縋り自殺した。

歌詞解釈:回路-kairo- – [Way of wonderful suicide #09] Way of wonderful suicide

アルバム「Way of wonderful suicide」は本作品 EP「World pulse」の 1 年以上前に発表された作品である。該当アルバムには「World pulse」 #01 と同名の曲「Way of wonderful suicide」が収録されており、歌詞は表記揺れを許容すれば同じである。

アルバム「Way of wonderful suicide」の流れを汲んだ上記解釈をそのまま「World pluse」#01 の解釈としてよいかについては疑問が残る箇所もあるが、概ね同じ解釈としてよいと考えた。引用した解釈概要の範囲で言えば、アルバムの他の要素から読み取る必要がある箇所は “「僕」と「私」は恋仲であった” のみであり、他の箇所は曲単体からでも読み取れる内容だろう。

#01 と #05 とで歌詞で描かれている物語は別ではあるが #01 が #05 のモチーフとなったとした理由は、先述の強い関連性があることと、#01 と同名の曲を収録した「Way of wonderful suicide」の発表時期 2012年04月30日 が、本作品の EP「World pulse」の発表時期 2013年08月12日 よりも先であり、作詞作曲が #01 は megane さん、#05 は ke さんで、異なるためである。

歌詞で描かれている物語が #01 と #05 とで別であるとする他の理由の候補として、#05 の歌詞 “僕が死んだ日は(改行)晴れていた(改行)不自然な程に(改行)澄み渡った空には” がアルバム「Way of wonderful suicide」の挿絵と矛盾する点を考えた。しかし、これは EP「World pulse」のみで見た時に読み取れる内容ではない上、物語上重要な要素でも無いと感じた。よって少なくとも、この矛盾のみから #01 と #05 とで物語が別であるとするには弱いと考えた。また別の候補として、#05 の歌詞 “どこに向かうのかわからないけど” が #01 の歌詞 “会いに行くよ” と矛盾するようにも見える点も考えた。しかし、#01 の “今でも探してる小さな手(改行)どこにもない また今日も涙拭くの” より、”僕” は “君” の場所を精確には分かっていないことも考えられ、必ずしも矛盾しないと考えた。よって、これのみからも #01 と #05 とで物語が別であるとは判断できないと考えた。

2-2. “僕” の人物像

先述の 2-1 の通り、投稿者の解釈では #05 と #01 の物語は異なり、よって #05 と #01 の “僕” は別の人物である。その前提では、(アルバム全体の解釈を考える前なのでアルバムの文脈は置いておいて、ひとまず)#05 のみから “僕” の人物像を考えることになる。

残念ながら #05 の歌詞から読み取れたことは殆ど無く、”全て残して行く勝手も” という表現から、後追いではない自殺をした人物であるという点が読み取れた程度であった。死後の “魂は今(改行)この場所(改行)まだ歌っている” の状況を自殺前から把握や予測していたか不明であり、何を思って歌っているのかも不明であった。いっそ「死後 “僕” は何も覚えていない状況である」という説も考えたが、この説は歌詞より “僕” が日記を燃やしたことを覚えているため否定されるだろう。

歌詞の “まだ歌っている” の “まだ” を “死ぬ前から継続して死んだ後でも” と取れば、”僕” は生前から歌っていたこととなるが、これが “僕” 個人の特徴を表したものか、凡そ人類全体についての(比喩的な)ことなのかは判別がつかなかった。根拠は無いが、個人の程度の差はあれ後者ではないかと思う。この曲における魂と身体の役割は、歌っているのは魂で、それを物理的な音に変換するのが身体といったところだろうか。

3. 雑感

World pulse 発表 10 周年に合わせての投稿です。めでたいので作品を愛でたい。

EP「World pulse」の公式特設サイト(のアーカイブ)のキャッチコピーは #05「pulse」の歌詞の一節によく似た以下となっており、#05「pulse」は表題曲とも言えるでしょう。

たとえ媒体からだが失われても、おとはこの場所で鳴り続ける

World pulse のアーカイブの画像の書き起こし

加えてクレジット上の Concept 担当が ke さんで、EP 内で ke さんが作詞作曲を担当した唯一の曲がこの #05「pulse」であることからも、#05 がこの EP を象徴する曲と言えると思います。

自分の 3 年前の Way of wonderful suicide #09 の歌詞解釈記事では “original EP「World pulse」の #5「pulse」に「僕」のその直後と思われる描写” があるとか書いていましたが、良く読んだらそんなことは無かったぜという記事になりました。もしかしたら数年後に “読み返したらそんなことはなかったぜ” とか書き出すかもしれませんけどね。歌詞の意味は歌詞を読んでも訳か分からんことが多いですが、それでも聞いてるだけよりは読んだ方が気付きがあるものです。

この記事を書く準備をしている時に、World pulse #01 の曲名の一部表記が「Way of wonderful sucide」と最後の単語の表記が「suicide」ではないことに気付きました。「sucide」の表記となっているのは iTunes 購入のファイル、メロンブックスのページおよびファイルです。他方、公式サイト(のアーカイブ)の Discogpraphy や特設サイトでは「suicide」となっていました。加えて、EP の名前の表記も「sucide」となっている方では主に「World Pulse」と 2 単語目の始まりが大文字(メロンブックス DL 購入のテキストファイル「text/credit.txt」内では小文字)、「suicide」になっている方では「World pulse」と 2 単語目の始まりが小文字となっており、差異が見られました。理由は不明です。理由の候補としては、前者が誤りであり後から修正できる WEB サイトのみ修正したとか、コンセプト担当者(ke さん)と WEB サイト担当者(藤代慎平さん)とが違うことによる表記揺れとかが考えられます。記事内では「Suicide」と「World pulse」で表記しました。

音源発表 10 周年で何かできるのは残り 2 つ “So, All we have (not) created equal”, “The world is too small(wide) we are to live comfortably.” のみとなりました。特に後者は思い入れがあるので何かしたいですね。その後は、5 年周期で 15 周年、20 周年で何かやるかもやらないかもしれません。

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